👆この記事のつづきです。
あふれてくる悲しみは、2年くらい続いたのではなかったか、と書いたけれど、友人や瞑想の師との過去のメッセージのやりとりを見てみたところ、もっと長いあいだだったらしい。
はじめは身体感覚の胸のつかえから始まり、目に見えるかたちで軽くなるまでに、3~4年かかったようだ。
2022年の年明け、コロナ禍の入国規制が少しゆるんだスリランカを、ひさびさに訪れていたドイツ人の友人、ユルゲンから連絡が入った。
「せっかく今年は戻って来られたのに、コロナのせいで昔馴染みのスタッフは軒並み退職しているし、エリコ、きみまでヨガクラスにいないなんて、さみしいよ!」
彼は、わたしが働いていたアーユルヴェーダのホテルの常連客で、毎年、トリートメントのために数週間、滞在するのだった。
わたしたちは時間を申し合わせてビデオ通話することにし、わたしは、数年来しつこく続いている悲しみの感覚について彼に相談した。
彼も、瞑想するひとであり、わたしの師であるウプル先生の教える瞑想センターにも、スリランカに来るたび出入りしている。
「エリコ、きみ、それはうつ病じゃないのかい? たしかにきみは悲しそうだよ」
ちがうと思う、とわたしは答えた。
気力や興味が前より低下しているとか、そういう症状はなかった。
ただ、胸に悲しみの感覚が、ほぼ常にあるというだけ。
ただし、感じても感じても、いっこうになくなることのない悲しみに、これ以上どう対処していいものやら、ほとほと手を焼いて疲れてはいた。
「ウプルには相談したの?」と訊かれたので、
「もちろん、したよ。ウプル先生には、悲しみを完全に受け入れて、悲しみと仲良くしなさいと言われた」と答えると、
「僕も、ウプルとおなじ意見だよ」とユルゲンは言った。
「でもユルゲン、これは長すぎる。
よく、感情って完全に感じ切ったら消えていくって言うじゃない。
だけど、こんなに何年もずっと感じ切ろうとしているのに、いっこうに消えそうにない」
するとユルゲンが言った。
(この部分は、ビデオ通話が終わったあと、テキストメッセージでやりとりしていた部分なので、正確に残っている。)
「きみがほんとうに悲しみを歓迎しているか、ちょっと考えてごらんよ。
悲しみを、よろこんで自分の友だちとして見たいと思っているのか、ただそうしなければならないと思っているのか、『いいわ、友だちね』って義務として考えていないか」
「ありがと、でももうちょっと詳しくお願い」とわたしは返した。
それに応えて、彼はこう言った。
「悲しみはとっても繊細なんだよ。
彼女には、きみが彼女のことを、心からよろこんで友だちとして歓迎しているかどうか、わかってしまうんだ。
彼女には、きみの心が読めるのさ……
たぶん彼女は、きみが彼女のことをほんとうに友だちとして歓迎しているのかどうか、疑っているんだよ」
追記。つづき書きました。👇