👆こちらの記事のつづきです。
インド、スリランカでの生活を経て帰国し、2012年の春、久しぶりにまた、香咲さんのセミナーに参加したときのこと。
そのとき、セミナーのなかで、少し長めのガイド瞑想が行われました。
目を閉じ、リラックスして、自分がくつろげる場所にいるところをイメージしてください。
そう言われて浮かんできたのは、小さな部屋でした。
部屋自体が生き物のようにふかふかしていて、窓はないけれど、ちょうど、猫バスのなかにいるようなイメージです。
そして私は、まさしく猫バスの座席のような、壁際に作りつけのふかふかのソファに座っているのでした。
すると、向こうから、誰かがやってきました。
見ると、それは7歳のときのあなたです。
挨拶して、こちらへおいで、と呼び寄せ、抱きしめてあげてください。
そして、聞きたいことがあればなんでも訊いて、と言ってあげてください。
そして、その子の質問に答えてあげてください……
ガイダンスがそのように与えられると、部屋の向こうの暗がりから現れたのは、ペパーミント・グリーンの夏のワンピースを着たショートカットの私。
あああ、そんな服、持ってた…と自分でも驚く。
7歳の自分と、どんな会話をしたかは覚えていないけど、ガイダンスは続き、その7歳の子を見送った後には、同様に、17歳の自分と会うように導かれました。
(またも、自分でも忘れてた服を着て出てきて、また驚く。無意識層の記憶って、すごいよね)
その後。
また誰かがやって来ました、と言われ、次は何歳?と思っていたら、
やって来たのは、3年前のあなたです。
3年前。
そう思った途端、浮かんできたのは、あの、ヨガ教室の帰りの、冬の並木道でした。
私の意識は、並木の上のほうから、下の道路に立ち尽くして、途方に暮れている、3、4年前の自分を見ていました。
あのときの、八方塞がりの気分が甦ってきます。
ああ、あんなに悩まなくても、大丈夫なのに……。
えいって飛び込むだけで、ちゃんと受け止めてもらえるのに。
あとは、ぜんぶアレンジしてもらえるのに。
そう思った途端に、私は心のなかで、並木道の彼女に呼びかけていました。
「こっちにおいで。
こっちにおいで。
大丈夫、あなたの思っているようなことは起こらない。
安心して飛び込みなさい。
必ず受け止めてもらえるのだから……」
そのとき、私は、あっと気づいたのです。
あれは、私自身の声だったんだ!!
呼んでいたのは、私だったんだ!
ということに。
The Holy Spirit stands at the end of time, where you must be because he is with you. (T13:1.4)
聖霊は、時間の終わりに立っている。
彼はあなたと共にあるのだから、あなたも、そこにいるはずである。
聖霊の声とは、時間の終わりに立って、すべてを俯瞰している「本当の私」の声なのだ、という気づきでした。
それは、自分以外のところから来るものではないのでした。
聖霊の声を聞くとき、私もこれまでいやほど経験してきたように、本来なら気持ちの良いはずのものなのに、プライバシーや自由選択の権利を侵害されているように感じ、強い強い抵抗を感じることもしばしば。
それは私たちが、自我に自分のアイデンティティを見出しているからなのだけど、自我こそがよそ者であり、聖霊こそが私の本当の想いを代弁してくれているのだと、いつも覚えていたいです。
(初出:「聖霊ってだれなの? つづき」/ひかりのはな)
8月10日(土)、末吉愛さんと
オンラインリトリートをご一緒させていただきます
お席が埋まってきているようなので、
ぜひお早めにお申込みください