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デーボ【2】

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デーボと出会ったのは2015年の晩秋のことで、わたしはその頃、日本にいて、カナダ国籍の友人Rの経営する英語教室とヨガクラスを手伝っていた。


当時、フルタイムで働いていた英語教師のひとりが急遽退職して帰国することになり、Rは後任を探していたが、募集に応募してくる人の中には、なかなかいい人が見つからなかった。

そこでデーボに相談したところ、デーボが来てくれることになったのだ。


デーボはRにとってメンターのような存在だったし、その頃、自身の病気の手術やら、医療ミスやら、英語学校の設立者だった母親との死別やら、その死別により、突然学校の経営者となった重責やらで、数年のあいだ試練続きであったRは、デーボが来てくれることを喜んだ。



インドの山奥のアシュラムで祭祀をしている、という異色のバックグラウンドを聞いていたので、どんな感じの人かと思っていたが、ごくごく薄い茶色の髪の、小鹿のようにほっそりとした女性だった。


繊細そうな印象だったが、それは感受性が鋭そうだという意味であって、傷つきやすそうだというのとは、すこし違った。


エキセントリックなところはどこにもなく、ふつうの社会人として生活するのにおかしな様子はなかったけれど、ではふつうの人なのかというと、そうでもなかった。

浮世離れしていはいた。


形容しがたい。



目がとても澄んでいるのが、印象的だった。


余談だが、いわゆる「悟った」マスターたちの写真を見ていたとき、その多くの人の目が特徴的で、共通点がある、と思ったことがある。


その共通点とは、とても澄んでいるということ、そして、まなざしを向けている対象物を通り越して、もっとずーっと遠くを見ているかのような視線であること、なのだが、デーボもそういう目をしていた。


(デーボが悟っている、とか言いたいわけではない。

事実、彼女はいまでも、自分の自我の動きに対する気づきをシェアしてくれることがある。

でも、心の浄化にコミットメントした先に、不純物が減り、心がそのゴールから外れなくなると、それは目に表れてしまうのだろうか、と思わせるような目をしている。)



わたしは当初、デーボとは仕事に必要な範囲でのみしか、ほとんど会話をしていなかった。


それがあるとき、Rから頼まれたのだ。


「デーボが、財政難の知人に国際送金してあげたいと言っているんだけど、休日に彼女をS市まで連れて行ってあげてくれない?

今後、必要なら彼女がひとりでも行けるように、公共交通機関での行き方を教えてあげてほしい」


その当時、ウエスタンユニオンで国際送金するには、取扱店に出向かなければならなかったのだが、その最寄りの取扱店へは、バスで1時間ほどの距離だった。


その道行き、わたしたちは初めて、長いおしゃべりをした。


たしかデーボが最初に、わたしのスピリチュアルなバックグラウンドを尋ねてきたのだ。

それで、コースのことや、自分のここまでの道のりを話した。


「それで、あなたは?」と、わたしは尋ねた。

「Rから、あなたはRのグルジのアシュラムで司祭のようなことをしていたと聞いたけど。

そもそも、どうしてそんなことになったの?

インドへ行く前は、何をしていたの?

どうしてインドへ行くことになったの?」


つづく。





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