デーボは、アメリカの某大都市の生まれなのだが、心理学を専攻して大学を出た後、心理カウンセラーとして少年刑務所に勤めていたという。
「その施設は重犯罪者専用で、職員は全員、銃を携帯しているようなところだったの」
「銃? あなたも?」と、わたしは訊いた。
デーボと銃を一緒にイメージするのは、むずかしい。
「わたしもよ」とデーボは答えた。
そこでの職を手放し、あるときインドへ渡った。
幼い頃から、神への傾倒はあったけれど、まわりにそれを理解できる資質の家族はなく、そういう意味ではとてもさみしい思いをしたようだった。
育った環境の中では、キリスト教にはあまり良いイメージを持てなかったので、東洋の神学に惹かれるようになった。
インドに渡ってしばらくは、あちこちのアシュラムに出入りしたり、本を読み漁ったりして学ぼうとしたが、あるとき、知的な理解については「もう、いい」と感じ、そこからは、内なる導きに従ってリシケシへと辿り着いた。
「リシケシのラクシュマンジュラからしばらく川を遡ったあたりに、祠を祀った洞窟があるの。知ってる?」
そのような洞窟の祠を一度、受けていたヨガのコースの師の案内で訪ねたことがあったので、そこの特徴を挙げると、
「いえ、そこではなくて、もっと奥のほう。
とても神聖なエネルギーで満ちているので、そこが気に入って、そこに寝起きするようになったの」
え! …洞窟に??
「ところが、ひと月ほどしたらインド人の暑季休暇に入ってね。
巡礼のインド人がたくさん、洞窟に詰めかけるようになって……」
それは容易に想像できた。
インドの夏は3月から5月頃。
暑すぎて外国人観光客が姿を消し、あちこちのヨガ・クラスも軒並み閉められると、入れ替わりのようにリシケシはインド人の巡礼客でごった返す。
「洞窟のエネルギーも乱れるし、わたしもじろじろ見られるので(そりゃそうだろう)、そこには落ち着いて住めなくなって、山の中へ入ったのよ。
歩いていたら、中が空洞になっている、とても素敵な樹があったので、そこに住むことにしたの」
「………何て?」
樹のうろに住む??
どうやったら、そんなことが可能なんだろう……
と混乱するわたしに、デーボは、その樹はバンヤン・ツリー(ガジュマルや菩提樹の類)の一種であり、中心部に人がひとり、ゆったり座れるほどのスペースが空いていたのだと説明した。
見てみたい、写真はないの?とダメ元で訊いたら、なんと、あるという。
あとでメール添付で送ってくれたのを見ると、それは枝のように細い幹が密集した巨木で、地面にちょうどアルファベットの「C」を描くようにして生えており、中が空洞になっているのだった。
「屋内」の写真もそこにはあったが、地面には布が敷かれ、「壁」のそこここには小さな神さまの絵や人形、そしてインドで祭祀に使われるマリゴールドの花輪のしおれたものが掛けてあり、ちゃんと生活している形跡があった。
でも、いちばん上まで吹き抜けで天井はない。
これ雨が降ったらどうするの、と訊いたら、雨季ではなかったので、一度も雨は降らなかったのだという。
デーボはここに、なんと三か月暮らしていた。
「三か月も、そんなところで何をするの!?」
と、わたしはばかげた質問をした。
瞑想して、神とともに過ごしていたのよ、という答えが返ってきた。
当然だ。
そのほかの何かがしたい人間は、こんなところには住まない。
食糧はどうしていたのか尋ねると、ときどき近隣の集落まで下りていき、手持ちの現金でフルーツを譲ってもらっていたのだそうだ。
そうして暮らして3か月後、たまたま山の中を歩いていて通りかかった(それも、なぜなんだろう……)グルジの信者に、デーボは「発見」された。