先日開いた「音無しの庭」(アーカイブは残っていない)で、ケイト・グリーヴスというオーストラリアのACIMの教師の話を出した。
最初に彼女を見つけたのは、YouTubeがおすすめに上げてきたからなのだけど、動画のタイトルを見た瞬間、「あ、これは見なければ。これは良い先生だ」と思ったのだった。
そのタイトルというのが、「Trust will settle every problem now」(信頼はこの瞬間にすべての問題を解決する)だった。
それを見た瞬間、これをタイトルに持ってくる教師は、ほんとうに良い教師だ、と確信したのだ。
(そして実際、ケイトはとてもとても良い教師だった)
その話を「音無しの庭」で出したとき、そのとき壇上に上がってくださり、お話に加わってくださっていた方のおひとりが、「そもそも何に対する信頼なのでしょう」というようなことをおっしゃって、私はそれに、「すべては為されているという信頼でしょうね」というような短い返事をした気がする。
先ほど祈っていたとき、このことについて、もう少し掘り下げて書くように、noteではなく、サイトのブログで、というガイダンスを受け取ったように感じたので、少し掘り下げてみたい。
私たちは、問題というものがあると信じていて、それが私たちの真実を、いま、損なっている、と信じている。
それに対して、何がしかの対策をしなければ、その問題は解決されないと信じていて、それには私の個人の能力やら、私以外の誰か個人の能力やらが、必要とされていると信じている。
その解決は、そうした対策と努力の甲斐あって、未来において受けとることが可能だと信じている。
実際、かたちの上ではそのように体験されることもあるだろうし、そのようなプロセスがいけない、ということではないのだけれど、コースが言っているのは、私たちは心の平安を見出すのに、未来を待つ必要はない、ということだ。
重ねて言うが、プロセスがいけない、というのではない。
そこを誤解すると、コースはとても脅迫的な何かのように誤解されてしまう。
コースが言っているのはただ、「あなたはしあわせになるのに、一秒たりとも待つ必要はない」ということなのだ。
とても親切な申し出なのだ。
問題はある「はず」で(「だって私の目にはそう見えているのだし」)、
その問題が私のしあわせを邪魔している「はず」で、
それが解決されるまで私は安堵を感じられない、
そのように、私たちは心の奥底で決めている。
そのとき、そのいちばん下にある信念は、(コースの言葉で言うなら、)
「神からの分離は起こった。
私は自我として分離独立するのに成功した。
私はもはや、神の子ではない」
というものだ。
それは、
「罪は実在する」
という信念であるとも言える。
「信頼はこの瞬間にすべての問題を解決する」、その信頼は何についての信頼なのか、と言えば、いろいろな言い方ができるとは思うけれど、いまパッと浮かんできた言葉を言えば、
私の出る幕なんかない
ってことです。
問題はある、
問題は平安を実際に邪魔できている、
この特定の問題が解決されるまでは平安は延期される、
私は罪深く、その罪を埋め合わせる必要がある、
何かが変わらなければならない、
私は神を攻撃し得た、
なんとか赦されて天国まで戻らなければならない、
エトセトラ、エトセトラ、……
それがぜんぶ嘘だ、という信頼、
私が自分の見ている景色を聖霊に明け渡すことを選ぶなら、それをこの瞬間に教えてもらえる、という信頼。
その信頼が、私たちをいまこの瞬間に、自分の間違った信念から解放してくれる。
それが、「信頼はこの瞬間にすべての問題を解決する」の意味するところだと思います。
与えられているしあわせを、受け取るのを延期させたくないですね
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