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Call Me by My True Names

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2011年の4月のこと。


後に何度も繰り返し訪れることになった、仏教瞑想センターに、はじめて滞在しました。


その瞑想センターは、スリランカの山の上の古都キャンディから、近郊の山をさらに1時間車で上った、ティープランテーションのなかにありました。


通いの料理人と庭師がひとりずついるほかは、在家の瞑想の教師がひとりで切り回しており、滞在できる人数も限られていましたが、とても評判の良い瞑想センターでした。


山の上で、当時は電気もなく(いまは少しだけ、共用スペースには太陽発電の電灯があるようです)、夜はろうそくと懐中電灯が必需品。


四畳半ほどの小さなクティ(宿坊)には、コンクリートを盛った段に、薄いマットレスを敷いただけのベッド。


毎日のように降る雨と湿気のせいで、洗濯物は何日も乾かず、ゴミを燃やすための焼却炉の火はなかなかつかない……。


瞑想ホールは雨漏りするし、歩けば必ずというほど足に付く、ヒル。


そんな、快適とはあまり言えない環境でしたが、緑に囲まれとても美しく、静かで、神秘的なところでした。


私はそこで、何人もの素敵な友人を得ました。



……さて、そこでのはじめての滞在のとき、瞑想ホールのドアの前の掲示板に、私はティクナット・ハンの詩を見つけました。


この詩にとても心惹かれて、手持ちのダイアリーに書き写しました。


現在では、この詩は日本語に翻訳され、出版されているらしいのだけれど、当時はインターネットで検索しても、それらしいものは見つからなかったので、私は自分で訳すことにしました。


それ以来、仏教瞑想センターの冊子とか、奇跡講座関連の手記とか、動画の字幕とか、いろいろ訳してきましたが、ふと思い当たると、この詩が、私が学校の課題などとは別に、自ら率先して翻訳したはじめてのものだったかもしれません。


手前味噌ですが、私はいまでも、この翻訳を気に入っています。


これまでも、古いブログやSNSに投稿したことがあるので、読まれた方もいるかもしれないけど、今回、思いついて、こちらに転載しておくことにしました。


お楽しみいただけるとうれしいです。






ほんとうの名前で呼んでください 


ティク・ナット・ハン 




私が明日 死ぬだろうなんて 言わないでください

私は今日もまた 生まれているのだから



ようく見て… 私は毎瞬 生まれています

春 木の枝に吹く新芽として

まだ羽もか弱く 新しい巣のなかで歌を習っている ひな鳥として

花のしんをはう 芋虫として

石のなかにその身を隠した 宝石として



私はいまも 生まれています

笑うため 泣くために、怖れるため 希むために



生きとし生けるものの 誕生と死が 私の鼓動です



私は 川面で羽化しようとする 蜻蛉です

それから 私は鳥

春の訪れとともに 蜻蛉を食べるため 飛来する



私は 清らかな池の水で たのしく泳ぐ 蛙です

それから 私は やまかがし

蛙でおなかを満たそうと しずかにそっと忍び寄る 



私は ウガンダの子どもです 皮と骨ばかりの 

私の脚は 竹の棒のように 細い 

それから 私は 武器商人 

死の兵器を ウガンダに 売りつける 



私は 小さなボートの上の 12歳の難民の少女 

海賊にレイプされ 海に身を投げる 

それから 私は 海賊です 

私の心はまだ 見ることも 愛することも できないまま 



私は 旧ソ共産党中央委員会の政治局員 

絶大な権力を この手に握る 

それから 私は 強制労働収容所で ゆっくりと死にゆく男 

人民に「血の負債」を支払うために 



私の喜びは 春のようにあたたかく 

人生の歩みのすべてに 花を咲かせる 

私の痛みは 涙の川のようになみなみとして 

四海のすべてを 満たす 



どうぞ 私を ほんとうの名前で 呼んでください 

そうしたら 私は 私自身の すべての嘆きと すべての笑いを いっぺんに聞くことができる 

そうしたら 私には 私の喜びと痛みが ひとつだということがわかる 



どうぞ 私を ほんとうの名前で 呼んでください 

そうしたら 私は 目を覚まして 

私の心の扉を 開いたままにしておくことが できるから 


思いやりの扉を






Call me by my true names Thich Nhat Hanh


Don't say that I will depart tomorrow --

even today I am still arriving.


Look deeply: every second I am arriving

to be a bud on a Spring branch,

to be a tiny bird, with still-fragile wings,

learning to sing in my new nest,

to be a caterpillar in the heart of a flower,

to be a jewel hiding itself in a stone.


I still arrive, in order to laugh and to cry,

to fear and to hope.


The rhythm of my heart is the birth and death

of all that is alive.


I am the mayfly metamorphosing

on the surface of the river.

And I am the bird

that swoops down to swallow the mayfly.


I am the frog swimming happily

in the clear water of a pond.

And I am the grass-snake

that silently feeds itself on the frog.


I am the child in Uganda, all skin and bones,

my legs as thin as bamboo sticks.

And I am the arms merchant,

selling deadly weapons to Uganda.


I am the twelve-year-old girl,

refugee on a small boat,

who throws herself into the ocean

after being raped by a sea pirate.

And I am the pirate,

my heart not yet capable

of seeing and loving.


I am a member of the politburo,

with plenty of power in my hands.

And I am the man who has to pay

his "debt of blood" to my people

dying slowly in a forced-labor camp.


My joy is like Spring, so warm

it makes flowers bloom all over the Earth.

My pain is like a river of tears,

so vast it fills the four oceans.


Please call me by my true names,

so I can hear all my cries and my laughter at once,

so I can see that my joy and pain are one.


Please call me by my true names,

so I can wake up,

and so the door of my heart

can be left open,

the door of compassion.




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