先日の、満月の夜の瞑想会にご参加くださった皆さま、ありがとうございました。
「瞑想会」と呼んではいるものの、スケジュールされた1時間まるまるを瞑想に使っているわけではなく、以前Clubhouseの「音無しの庭」でやっていたように、前半はシェアやトークに使っています。
何人かで集まり、そこでそのときどきで上がってきたトピックのテーマを足がかりとして、祈りと瞑想をする……というのがこの会の意図するところです。
さて、瞑想、と一口には言っても、その人の学んできたバックグラウンドによって、瞑想とはどういうものか、という定義は変わってくるかもしれません。
その定義によっては、祈りと瞑想は本質的に別個のものだ、と考えるひともいるでしょう。
(世の中には、そういうひとのほうが多いかもしれませんね。)
が、私にとっては、祈りと瞑想はとても近いものです。
それはどちらも、ひとつには、いま、この瞬間に、自分の心がどんな様子か気づいているために心のなかへと分け入ってゆくことであり、また、もうひとつには、心のセンタリングをする、ということです。
この世界では、日々いろいろなことが起こるように見えます。
そうした出来事の数々により、外側の世界へと心が向き、揺れ動かされるように見えるとき、私たちは自分の本来いるべき立ち位置から外れています。
そして、無力な自分というものを体験します。
奇跡講座の言葉を使うなら、「自我の声を聞いている」状態で、自分が誰なのかを忘れ、いまここにいる目的を忘れ、途方に暮れている状態です。
そこから、心が、自分は本来どこにいるはずなのかを思い出し、「戻ってくる」必要があり、自分は無力なのではないと「思い出す」必要があるわけですが、これには心の筋力がいりますよね。
日々の祈りや瞑想は、ひとつには、その筋力を鍛えるためのものであり(奇跡講座のワークブックレッスンもそうです)、そして、その「戻るべき場所」というのが、どこなのか、をあらかじめ自分に教えておくためのものでもあります。
戻ってくる場所。
それは、静かな、開かれた、柔らかな状態の心のことであり、
ジャッジメントを手放すことであり、
自分の心には決断する力がある、と覚えていることのできる場所のことです。
そこを自分の中心軸として、ブレたら戻る、またブレたらただまた戻る、という練習をくり返します。
次第にブレることが減り、最終的にはそこに留まることができるようになるには、何度も何度でも、戻ってくる必要があるからです。
そして、日時生活のなかで、いざ、「わっ!」と心を揺らす出来事があったときに、「戻ってくる」ことができるのは、もちろん、ふだんからしばしば練習しているからこそ、なのです。
だから、祈りも瞑想も(そして奇跡講座のワークブックレッスンも)、毎日、しかも1日のなかで何度も、練習する必要があります。
そういう意味では、すべてのスピリチュアル・プラクティスは、どうしたって、自発的な(voluntary)意欲が不可欠なのですが、瞑想会や勉強会などに参加したり、学びを同じくする仲間との分かち合いは、そうした意欲を強めてくれます。
満月の夜の瞑想会は、原則として満月の日(または、やむを得ないときはその前後)に開催していく予定なので、曜日は毎回変わることになりますが、タイミングが合って、インスピレーションを感じられましたら、またご一緒できるとうれしいです。
3月の開催は、3月25日(月)21:00〜、約1時間です。
詳細は、以下のリンク先にてご参照ください。